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2024年3月15日(金)   栃木・蔵の街 
 春のような陽気に誘われ、蔵の街といわれる栃木駅の周辺を散策する。
 駅前から北に延びる蔵の街大通りは、江戸時代の例幣使街道で現在も往時の道幅を残している。明治時代に撮られた街の写真を見ると、道の中央に溝が設けられ、半鐘を吊り下げた火の見やぐらが両側に軒を連ねる2階建ての木造家屋を見下ろすように建っている。現在も低層建物が建ち並ぶ清潔感にあふれた街並みを保っている。
 町の北に位置する嘉右衛門町地区は重要伝統的建造物保存地区に指定され、桝形をなす例幣使街道沿いに見世蔵等の建物が保存されている。
  
 
蔵の街 街並み

明治時代の街並
 
嘉右衛門町 例幣使街道

嘉右衛門町 平沢商事

  ここは例幣使街道の宿場であり、江戸時代には火の見やぐらが建てられていたように、火事が最も恐ろしい災害と考えられていたため、見世蔵等の建物は道に対して少し斜めに建てるアガモチと呼ばれる配置となっている。街道歩きでは、中山道の平沢地区にこの形式が残り、そのほかの宿場でも散見するので、江戸時代の宿場では多く見られたのではないかと思われる。それにして、近代的なビルも低層の建物が多く、見世蔵の重厚な建物と違和感なく調和した街並みは美しい。
 明治時代、大正時代の建物も混在した落ち着いた佇まいの一つとして、大正10年(1921年)に建築された旧栃木町役場庁舎洋風建物が栃木市立文学館として保存されている。玄関の上部にはバルコニーが設けられ、まさに戦前の官の尊厳を示す設計といえそうである。栃木市出身の作家として「路傍の石」で有名な山本有三、90歳を過ぎて詩集「くじけないで」を上梓した柴田トヨなどがいるが、この街並みで生活していたことがものを書く原動力になったのであろう。
 
 
見世蔵 アガモチ

見世蔵
 
土蔵3棟 蔵の街市民ギャラリー

栃木市立文学館
 
 現存する見世蔵のなかで、弘化2年(1845年)に建築された古久磯提灯店(こくいそちょうちんてん)見世蔵は年代が特定できる最古の建物でアガモチの形式をよく伝え、道に対して斜めに配置していることがよくわかる。栃木市で提灯屋はこの店だけになったようであるが、2年に一度行われる「とちぎ秋まつり」では、提灯で飾った9台の山車が市内を練り歩くという。きっと提灯は古久磯提灯店で造られたものであろう。
 山車を展示する山車会館では、ガイドが方が非常に丁寧に山車の由来などを説明してくれる。明治7年(1874年)に、倭町三丁目が東京日枝神社の山王祭に使われていた静御前の山車を、泉町が宇都宮から諫鼓鳥の山車をそれぞれ購入したことが祭りの始まりとのことである。その後、各町内が三国志の人形等の山車を新調して現在の形になったという。因みに、日枝神社の山車は川越、佐原等にも売られたというが、これらはいずれも蔵の街であり、蔵があるということは商業が盛んで金回りがよかったことが想像できる。
 栃木市の商業は、例幣使街道の宿場であったここと、巴波川(うずまがわ)の舟運により渡良瀬川、そして利根川を介した大消費地江戸と交易出来たことが、その繁栄の要因であった。江戸時代の江戸は水の都とも言われ、水運の便を活かして商業活動が行われ、地方都市とつながりを持っていたことがわかる。
 現在の巴波川は水深が浅く、観光遊覧船が観光客を載せて運行するだけであるが、乗り場の河岸沿いには木材廻船問屋を営んでいた塚田家の黒塀と白壁の藏が約120メートルにわたって続き、巴波川の舟運で栄えた栃木を象徴する景観を伝えている。本日から飾り付けられた1151匹の鯉のぼりが風に任せて泳いでいる。因みに、1151匹は「いいこい」の語呂合わせだそうである。
 

古久磯提灯店見世蔵 

山車会館
 

観光遊覧船から 

塚田家屋敷


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